北海道大学 人間知×脳×AI研究教育センター(CHAIN) センター長 田口 茂 氏
生成AI「ChatGPT」をはじめ、近年、目覚ましい発展を遂げている人工知能(AI)。その革新的な技術に注目が集まると共に、改めて「人間とは何か」が問われています。
北海道大学 人間知×脳×AI研究教育センター(CHAIN)は、その問いへの答えを見出すべく、人文社会科学、脳科学(神経科学)、AIという異質な知が交差する、文理の境界を超えた学際研究の場を提供しています。
今回、CHAINがその知見を広く社会人に向けて提供する「『AIと人間社会』リカレントプログラム」を開発。文部科学省「成長分野における即戦力人材輩出に向けたリカレント教育推進事業」の採択を受け、2023年度に実施されます。
AIの技術面に焦点をあてたリカレント教育プログラムが多勢を占める中、CHAINのプログラムがテーマとするのは「AIと人間の関わり」。注目のAI倫理や異分野融合研究について学び、職場でのAI活用に活かせるまたとない機会となっています。CHAINセンター長の田口茂氏にお話を伺いました。
「北海道大学 人間知×脳×AI研究教育センター」とは
コエテコカレッジ編集部(以下、編集部) 北海道大学 人間知×脳×AI研究教育センター(CHAIN)開設の趣旨をお聞かせください。
田口茂氏(敬称略 以下、田口) 人間知×脳×AI研究教育センター(CHAIN)は、人文社会科学、脳科学(神経科学)、人工知能(AI)という3つの分野の知が交差する文理融合型の学際的研究と、それに基づく大学院レベルでの教育を行うことを目的に、2019年に設立されました。
その背景には、1980年代頃からの脳科学の急速な発展と、2010年代頃からの第3次AIブームを経て現在に至るAI技術の驚異的な進歩があります。これにより、「AIの台頭で人間のやることはなくなってしまうのではないか」「人間とは何なのか」「人間には何ができて、人間らしさとはどういうものか」というように、人間というものへの見方が改めて問い直されるに至っているのです。古来、人間について考えてきたのは、哲学、心理学、歴史学、文学、人類学、経済学、社会学、政治学といった人文社会科学でした。ところが、現代においては脳科学やAIなどの科学的研究が「人間とは何か」という問いに急速に近づきつつあります。そこから得られる最新の科学的知見を踏まえなければ、人間について全面的に、あらゆる角度から考えることはできなくなっています。
そこで本学はCHAINを立ち上げ、本学大学院に在籍する学生たちに向けて、人文社会科学、脳科学、AIの融合研究を行い、学び合える教育プログラムを提供しています。本学大学院の学生が自ら応募し、20名の定員を超える応募があった場合は選考を経て参加するという形で実施しており、学生たちは各大学院で自分の専門分野について学びながら、CHAINで学際的な能力を磨いています。
編集部 CHAINの教育プログラムにはどのような特長がありますか?
田口 プログラムは3つの柱から成り立っています。1つ目の柱であるプログラムベーストラーニングでは、情報科学系の学生は脳科学や哲学を学び、人文社会系の学生はAIや脳科学について学ぶというように、自分が専門としていない分野についての基礎知識をコースワークを通して身につけていきます。必修科目の人間知序論では、CHAINの講師陣による異分野融合研究への入門講義のほか、履修生同士の研究紹介や共同研究に向けたネットワーキングを含む演習授業も行います。
2つめの柱はプラットフォーム・ラーニング。サマースクールを日本語で、ウインタースクールを英語で毎年開催しています。第一線で活躍する国内外の研究者を招き、5日間の集中講義と学生による議論・発表を行う中で、最先端の学際的な知見に触れることができます。
3つ目の柱であるプラクティカル・ラーニングでは、連携企業のインターンシップへの参加、国内外の研究機関への留学、学内の他分野の研究室での研究従事といった形で、自身の研究の場を広げていくことが可能です。
編集部 履修期間はどれくらいですか?
田口 修士課程2年間と博士課程3年間の5年間で履修することを基本としています。スケジュール的にタイトではありますが、博士課程の3年間で修了することもできるように設計されています。
編集部 自身の研究と並行して学ぶのは大変そうですが、その分、充実した時間が過ごせそうですね。
田口 はい。異分野について多様な学生と共に学ぶことに対する履修生の満足度は高く、異なる大学院の履修生による学際的な共同研究もたくさん立ち上がっています。その中の1つはトヨタ財団の助成事業として採択され、非常に画期的なこととして学内でも話題になりました。
応募も常に定員を超えるほどで、集まった学生たちは皆、意欲高く取り組んでいます。共同研究のほか、セミナーへの参加や学生主導の活動なども積極的に行われ、「みんなでやっていこう」という熱意に溢れています。
「『AIと人間社会』リカレントプログラム」について
「AIと人間の関わり」に焦点をあてたプログラム
編集部 CHAINが社会人向けに「『AIと人間社会』リカレントプログラム」を開設されたのはなぜですか?
田口 社会のニーズに応えるためです。ありがたいことにCHAINへの関心は高く、「社会人はCHAINの教育を受けられないのか」という問い合わせを多数いただいていました。
また、AIは局所的には人間を超える能力を持つようになっているとはいえ、完全に人間と同等の働きはできません。そこから生まれる「AIをもっと人間に近づけるにはどうすればよいのか」という問いは、まさに我々CHAINが問題としているところです。こういった学問や研究に対する社会のニーズは高いのではないかということで、企業にヒアリングしてみたところ、「ぜひやってほしい」とのお声をいただきました。その中で、企業がDXに取り組むにあたり、どのような基準を持ってAIの活用を進めていくべきかという、ガバナンスに関する悩みの声も聞かれ、AI倫理への関心が高いこともわかりました。
そうしたことから、CHAINでリカレント教育プログラムを立ち上げることになり、文部科学省「成長分野における即戦力人材輩出に向けたリカレント教育推進事業」に応募して採択されました。
編集部 「『AIと人間社会』リカレントプログラム」にはどのような特長がありますか?
田口 人文社会科学、脳科学、AIが1つに重なったところで出てくる人間知の問題をテーマにしたプログラムで、AIの技術面だけではなく、AIと人間の関わりに焦点をあてているところが最大の特長です。CHAINの特任教員のほか、CHAINと共同で研究を進めている先生方も講師としてお招きし、オムニバス形式でそれぞれの専門とする分野の授業を行います。
本プログラムでは、コース 1a「AI倫理」コース、コース1b「AIから広がる知:異分野融合」コース、コース2エキスパートコース「AIと人間社会」の3つのコースを用意しています。
コース 1a ・1bは社会人の方が受講しやすいように、オンデマンド型を中心としたオンライン形式で実施します。全国どこからでも、場合によっては海外からでも参加が可能です。授業動画は1本15分程度にまとめ、すき間時間でも見られるように工夫しました。各自それを見て学んでいただき、 その中で出てきた質問については、期間中に2回、土曜日に設けるライブ形式でのQ&Aセッションでお答えします。この2つのコースはどちらか一方の受講でも構いませんし、両方の受講も可能です。
コース2は、本学での対面形式で3日間の集中討議・演習を行います。互いに議論し合うアクティブラーニングが中心で、多様な業種の受講生と交流できます。このコースは30名限定での実施となりますので、コース1a・1bと同時に申し込み、希望者多数の場合は、書類選考に通った方が受講できます。
異分野融合型の学びを提供
編集部 ここからは各コースの学習内容についてお聞きします。コース1aの「AI倫理」コースでは何が学べるのでしょうか。
田口 AIの活用が広がると、さまざまな問題が起こります。例えば、AIに人種や性差などに関するバイアスが反映されていたらどうするのか。あるいは、AIを用いたシステムが事故を起こした場合、責任の所在はどこにあるのか。こうしたAIの社会実装に伴う倫理的・法的・社会的課題(ELSI)は、今後ますます大きな問題になっていくと考えられ、現在、AIのリスクを管理するための国際的なルールを作ろうとする動きが活発化しています。これについて概論的な授業を提供するのがコース1aです。さまざまな分野やトピックにまたがりますので、各講師が分担して講義する形を取っています。
編集部 コース1b「AIから広がる知:異分野融合」コースについてはいかがでしょうか。
田口 AI技術の進展に伴い、新しい学問分野や学問的な知が生まれています。例えば、脳科学にAIの知見を活かした計算論的神経科学と呼ばれる分野。それとは逆に、AIに脳科学の知見を活かし、人間の脳のようにエネルギー効率のよい低電力消費のAIを開発する分野も活発化しています。また、AIと人文社会科学が交差するところでも、新しい考え方が出てきています。このような新しい学問的な知のあり方、学問的な思考のあり方について、一般の方にも分かりやすく解説するのがコース1bです。いわば、CHAINで行っている異分野融合研究の紹介授業のようなものです。
編集部 コース2エキスパートコース「AIと人間社会」は、コース1a・1bで学んだことを、より深めるという位置付けなのでしょうか。
田口 そうですね。ただ、知識の面でより詳しく学ぶということではなく、「自分の仕事や活動にどう生かしていくか」という視点から、アクティブラーニング形式で主体的に学びを深めていきます。講師からのフィードバックもありますので、より踏み込んで「AIと人間社会の関わり」について考えることができます。今後、責任ある立場に就かれるような方をはじめ、興味を持たれた方には積極的に応募していただきたいと思っています。
編集部 各コースの受講対象者について、学歴などの条件はありますか?
田口 学歴などは特に問いません。みなさん、個々の活動や仕事の中で積み上げた知見があると思いますので、その中で生まれてきた問いを解消したり、さらに問いを深めたりしていただければと考えています。
なお、コース1a・1bについては、各講義に理解度確認テストがあり、そこで一定の成績を収めた方に修了証を発行します。コース2については、3日間の対面講義に参加し、グループワークなどに積極的に参加してくださった方に修了証を発行するという形で進めていきたいと考えています。
コース1a 「AI倫理」コース | コース1b 「AIから広がる知:異分野融合」コース | コース2 エキスパートコース「AIと人間社会」 | |
履修条件 | 社会人 | 社会人 | 社会人 ※1aまたは1bを受講する必要あり |
受講方法 | オンライン(オンデマンド)形式 ※リアルタイム配信での質疑応答(期間中2回・土曜日)あり | オンライン(オンデマンド)形式 ※リアルタイム配信での質疑応答(期間中2回・土曜日)あり | 対面形式 ※北海道大学札幌キャンパスでの3日間の集中討議・演習(アクティブラーニング) |
開講期間 | 2024年1月5日(金)~2024年3月22日(金) | 2024年1月5日(金)~2024年3月22日(金) | 2024年3月8日(金)~3月10日(日) |
受講時間数 | 15時間(講義10コマ) | 15時間(講義10コマ) | 14時間実施予定(導入講義・グループワーク・プレゼンテーション) |
受講料 | 44,000円(税込) | 44,000円(税込) | 165,000円(税込) |
申込期間 | 2023年11月1日(水)0時00分〜2023年11月30日(木)23時59分 | コース1aと同じ | コース1aと同じ |
定員 | 80〜100名程度 | 80〜100名程度 | 30名 |
選考 | なし | なし | 希望者多数の場合、応募フォーム(基本条件、学習・就職意欲)による選考あり |
備考 | 各講義の理解度確認テストで一定の成績を収めた受講生に修了証を発行 | 各講義の理解度確認テストで一定の成績を収めた受講生に修了証を発行 | 3日間の対面講義に参加し、グループワークなどに積極的に参加した受講生に修了証を発行 |
誰もがAIとの関わり方について考える時代へ
編集部 リカレント教育やリスキリングについて、CHAINや北海道大学の今後の展望をお聞かせください。
田口 まずCHAINについてお話しすると、リカレント教育プログラムは継続的に毎年、開講していきたいと考えています。今回、開発した内容やコンテンツを絶えず見直し、よりよいプログラムを提供していく予定です。
本学全体としても、リカレント教育を推進していくことになっています。実は以前から社会人向けプログラムは提供されていたのですが、個別に行っていたため、本学全体の取り組みとして打ち出せてはいませんでした。そこで、広く社会に対して大学の知見を提供する教育の仕組みを新たに作るために、2022年4月にリカレント教育推進部が立ち上げられました。
編集部 大学全体としては、どのようなリカレント教育プログラムを提供されるのでしょうか。
田口 幅広く一般教養を提供する「一般教養型」、スキルアップやキャリアアップにつながる実践的な学びを提供する「職能型」、医療など受講資格が必要な特定の職種の方に向けた「専門職型」、修了者に文部科学省認定の履修証明書が付与される「履修証明プログラム」といった分類でプログラムが提供されていきます。今回、新設されたCHAINのプログラムは「職能型」に含まれます。2023年度末には、これらを一覧できるポータルサイトが公開される予定です。
さらに、今後は本学全体としてもプログラムを新設していく方針です。CHAINのプログラムを開設するにあたり、自治体の方にもヒアリングを行ったところ、AI倫理の問題はDXが急がれる自治体でも切実なものとなっていました。そのため、自治体向けのプログラム開発も進めていきたいと考えています。
また、持続可能な形でプログラムを立ち上げ、運営していけるように、財源の確保などに関する仕組み作りも行われています。
編集部 学び直しを考えている社会人の方に向けて、アドバイスやメッセージをお願いします。
田口 AI技術が進展を続ける中、AIと人間や社会の関係というのは、もはや誰にとっても無視できない問題です。企業で働く方のみならず、行政職員の方にとっても関心の高い問題となっています。そうした問題について考え、自身の仕事などに生かしていくために、ぜひCHAINの「『AIと人間社会』リカレントプログラム」を利用していただければと思います。
田口 茂(たぐち しげる)
北海道大学 人間知・脳・AI研究教育センター(CHAIN) センター長
北海道大学 大学院 文学研究院 哲学倫理学研究室 教授
早稲田大学第一文学部卒業、同大学院文学研究科修士課程修了、同研究科博士後期課程、早稲田大学第二文学部助手を経て渡独、ヴッパータール大学哲学科博士課程修了(Dr.phil.)。山形大学地域教育文化学部准教授、北海道大学大学院文学研究科准教授を経て、現職。