人材育成支援協会会長 松岡雅恵氏
職業訓練とは、再就職や転職に必要なスキル・知識を無料で習得できる国の制度。コロナ禍による雇用環境の悪化が続く中、雇用保険と生活保護の間の「第2のセーフティネット」として、その役割に期待が集まっています。そこで今回ご登場いただくのは、かつて職業訓練校を運営し、現在は人材育成支援協会の会長として失業者の就職支援に尽力されている松岡雅恵氏。これまでのご経験を踏まえ、職業訓練を活用して再起を図る手段について教えていただきました。
リーマンショックを機に求職者支援の道へ
コエテコカレッジ編集部(以下、編集部) 大学在学中に社会貢献を理念とする株式会社を設立されて以来、一貫して求職者支援に取り組まれています。何がきっかけだったのですか?
松岡雅恵氏(敬称略 以下、松岡) 幼い頃から体が弱く、大きくなったら人の役に立つ仕事をしたいと思っていました。自分で会社を立ち上げたのは、家族に会社経営者がいたことが影響しています。
2008年のリーマンショック後の景気悪化で多くの失業者が発生したことを受け、2009年に国が緊急人材育成支援事業(雇用保険を受給できない人非正規労働者などを対象に職業訓練の機会を提供する制度)を発足したことを知り、「何か自分にできることはないだろうか」と考えました。そこで、国の事業に参画し、職業訓練校運営を開始。プロの講師達と一緒に人材育成に取り組むことを決め、東京都で多くの職業訓練校で校長を務めてきました。
編集部 職業訓練校では、どんな分野の訓練を手がけていたのですか?
松岡 デジタル、医療、美容など、いろいろな分野を扱っていました。当時は女性向けの職業訓練はほとんどなかったので、ネイリスト養成など美容系の訓練を一から立ち上げました。間口が狭くて応募者が多いという、主に働こうとする女性の就職状況やジェンダーを改善しようと、教室数もどんどん拡大していきました。2011年に緊急人材育成支援事業が求職者支援制度へ移行してからは、一般社団法人を設立して引き続き失業者の人材育成と就職支援に取り組み、教室数を当初の3〜4倍にまで広げました。
その後は、M&A事業譲渡し、休養していたところに今回のコロナショックが起こりました。「これはリーマンショックの時よりも大変なことになる」と直感したため、人材育成支援協会を立ち上げて失業者の再就職のための認知活動を再開し、現在に至っています。
職業訓練の普及・啓発とオンライン化に取り組む
編集部 リーマンショックとコロナ禍で、失業者が置かれた状況に違いはありますか?
松岡 最も大きな違いは、職業訓練校で対面での受講が難しくなったことです。職業訓練校における授業のオンライン化はとても遅れていて、2021年12月現在、実技においては20%しかオンライン化ができていません。
オンライン授業には一般的なビデオ会議システムを使っているのですが、生徒によってはWi-Fi環境やOSが違ったり、PCの貸し出しが必要だったりして、同時双方向性が担保できず、授業が滞りなく行えないことが問題になっています。同時双方向性授業の担保は職業訓練校の認定要件となっていますが、国の支援が行き届かず、感染予防対策もすべて学校側の責任とされる中、認定申請を見送らざるを得ない訓練校も出てきています。
職業訓練校時代の仲間からこうした事情を聞き、求職者の皆さんが公平に授業を受けられるオンライン環境を整えるとともに、職業訓練という制度を広く知らしめるサポートをすることが私の使命だと思い至りました。そこで、NTTと連携して職業訓練の受講に特化したツールを開発し、今ようやく厚生労働省管轄の独立行政法人から使用許可をとりつけたところです。このほかに、コロナ対策支援やWi-Fi環境の整備支援、タブレットの貸出などもを行いたいと考えています。
編集部 現場をよく知る松岡様だからこそできることですね。人材育成支援協会では職業訓練の普及・啓発はどのように行っているのですか?
松岡 要支援のレベルを仕事・生活・住居の3段階に分けて、担当窓口にて電話相談を受け付け、それぞれの段階に応じたサポートや案内を無償で提供しています。職を失った方や就職難に陥っている方には職業訓練制度の案内をするとともに、「失業危機に備えるTV」というYoutubeチャンネルを開設し、職業訓練に関する情報を広く発信しています。
また、日々の生活や住居は就業に向けた土台となるものですが、経済的に困窮している方の中には、生活保護という制度を知らない、または使いたくないと思っている方が多く、住居を失うに至っても行政に頼ることをためらう方も少なくありません。生活保護は国民の権利ですので、必要な時にはどんどん活用してほしいと思います。当方でも、生活保護申請や住居確保への窓口案内サポートも行っています。
無料でスキルアップを図れる「職業訓練」とは
編集部 職業訓練(ハロートレーニング)は「公共職業訓練(離職者訓練)」と「求職者支援訓練」の2つに大別されます。両者の違いは何ですか?
松岡 公共職業訓練は、主に雇用保険を受給している求職者向けの職業訓練です。雇用保険の基本手当(失業手当)や受講手当、通所手当(交通費)の支給を受けながら受講できる上、要件を満たせば基本手当の受給期間を訓練修了まで延長することが可能です。一方、求職者支援訓練は主に雇用保険を受給できない求職者向けの職業訓練で、一定の要件を満たす場合は月額10万円の給付金と通所手当の支給が受けられます。
どちらの訓練も、受講料は無料、テキスト代(上限16,500円)のみ自己負担となります。収入が一定額以下であれば在職者でも受講が可能です。
大きな違いは、公共職業訓練には1〜2年の長期訓練が受けられるコースがあり、スキルアップしてスペシャリストになれる可能性が高いことです。求職者支援訓練は3〜6カ月の短期訓練がほとんどで、就職につながる基礎的な知識やスキルの習得を目指します(※)。
※厚生労働省は2022年3月末までの時限措置として、職業訓練を働きながら受講しやすいよう、訓練コースの期間や時間の短縮を可能とし、給付金の受給条件を緩和する特例措置を設けています。詳細は厚生労働省HPでご確認ください。
編集部 習得できるスキルや知識の種類に違いはありますか?
松岡 職業訓練には、リモートワーク向きのWebデザインやプログラミングなどのデジタル系、女性に人気のネイルやアロマセラピーのほか、会計関連系、機械加工などの建設・製造系、介護、医療事務など多様な訓練がありますが、公共職業訓練はより範囲が広いです。
求職者支援訓練には基礎コースと実践コースの2つがあります。基礎コースは、例えばデジタル系ならワード、エクセルといった基本的なPC技術(主に3カ月訓練)。実践コースは3〜6カ月のコースが多く、より実践的で、Webプログラミング、WebデザインなどのIT系、医療事務系などが人気です。美容系ネイリスト養成なら一級レベルの技術などが取得できるコースもあるほど、スキル実践型になります。
編集部 受講までの流れは訓練校やコースによって異なるのでしょうか?
松岡 ほぼ同じです。ハローワークで求職申込み・職業相談をしたあと、訓練の受講申し込みをして、面接や筆記試験を受け、合格すると受講のあっせんを受けられます。職業訓練校では施設見学会を開催していますので、申し込みの前にいくつか参加して、自分に合ったところを選ぶことをおすすめします。
編集部 面接や試験に合格する必要があるとはいえ、生活支援を受けながら無料で受講できるのは魅力的ですね。
松岡 はい。例えば、一般のスクールでプログミングを習得するには6カ月で60万円以上、ネイリスト養成の資格講座なら100〜150万円ほどかかる費用が、すべて無料になるのですからメリットは大きいです。それに加えて、講師の質が担保されているという点も強くお伝えしたいですね。講師としての実務経験が5年以上あり、かつ専門科目の上級資格を取得している人しか講師認定は受けられません。また、受講者は1クラス30名以下に制限されているため、1人ひとりきめ細かな指導が可能で、必要な場合は補講も行っています。就職を実現することが使命ですから、就職支援も手厚いです。
講師だけでなく、職業訓練校が認定を受けるのも、継続するのも、とても大変です。厚生労働省の担当者による実態調査によって細かな点まで厳しくチェックされ、不備があれば指摘を受けて、重なればすぐに不認定となります。その分、学校も講師も気を抜くことなく取り組んでいますので、安心して通っていただけると思います。
職業訓練を活用して自分らしい生き方を
編集部 コロナ禍の影響で職業訓練の受講を希望する方は増えていますか?
松岡 関係者から、訓練によっては応募人数が増えてきていると耳にしています。求職者であれば、基本的には老若男女、国籍を問わず受講の対象となりますが、協会に相談に来られる方を見ていると、年齢は30〜40代後半。特にコロナ禍で雇い止めされた非正規労働者やシングルマザーの方が多い印象です。非正規労働者の8割が女性といわれていますから、相談者にも女性が目立ちますね。今は女性向きの訓練も多いですから、ぜひ自分に合ったスキルを見つけ、それを磨いて、自立的な生き方を選択してほしいと思います。
相談者の中には「自分の好きなことや向いていることがわからない」という方がとても多いのですが、職業訓練ではカリキュラムの中で自己分析を行うので、そこから自分を知ることができます。訓練が始まってから向いていないことに気づいた場合も、1年間あければ別の訓練にチャレンジすることが可能です(給付金は上限あり)。ほとんどの方が初心者からのスタートですから、天職を見つける気持ちで臆することなく活用してほしいと思います。
編集部 職業訓練で身につけたスキルは、就職やキャリアアップにどう活かされているのでしょう?
松岡 Webプログラミングを習得して大企業に就職を決めたり、美容系ならネイルサロンに就職したりと、スペシャリストになってキャリアアップしていく方を大勢見てきました。企業への就職が多いですが、一度就職して自宅開業や起業をする方も少なくありません。さまざまに活躍の道が開けると思います。
編集部 最後に、コロナ禍で職を失った方や日々の生活に困難を抱えている方、これから職業訓練で再就職を目指す方へのメッセージをお願いします。
松岡 今の時代、誰もがいつどうなるかわかりません。でも、就職訓練や生活保護という社会のセーフティネットによって私たちは守られています。それを利用するのは自分の権利であり、助けてくれる人を頼ってもいいんだということ、こんな道もあるんだということを、いつも胸にとどめておいてほしいと思います。
人材育成支援協会では「誰もが輝ける生き方改革を推進する」というミッションを掲げています。自分には必ず何か秀でたものがあるのだということを、職業訓練を通じて、同じ目標をもつ仲間と一緒に見つけていきませんか? 伴走しますので、ぜひお気軽にご相談ください。
松岡雅恵(まつおか・まさえ)
慶應義塾大学文学部卒業。
大学在学中に社会貢献を理念とする株式会社を設立し代表取締役となる。
2008年のリーマンショックによる就職氷河期を受け、2009年に国の発足した緊急人材育成支援事業による東京都職業訓練支援事業に参画し、多くの職業訓練校の校長として失業者の就職支援に取り組む。
2011年、一般社団法人を設立し、代表理事に就任。緊急人材育成支援事業が求職者支援制度へ移行したことに伴い、同年、東京都の職業訓練支援事業に参画した。
その後、事業譲渡を行って休養に入っていたが、2020年のコロナショックを受けて求職者支援活動を再開。職業訓練校のオンライン化支援に取り組むとともに、Youtubeチャンネル「失業危機に備えるTV」の管理者として動画配信を開始、書籍『みんなが知らない転職術:実践編』 (やるき出版)Kindle版を出版するなど、職業訓練の認知向上に向けた活動を行っている。